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対馬と佐賀 歴史を通して  ~長崎新聞の記事から~
対馬と佐賀 歴史を通して  ~長崎新聞の記事から~

10月23日の長崎新聞に対馬と鳥栖市田代の歴史・交流についての記事が掲載されていました。

記事等によりますと佐賀県鳥栖市の東部と基山町一帯にあった『田代領』は江戸時代は対馬藩(対馬府中藩・厳原藩)の飛び地だったそうです。
対馬藩は豊臣秀吉の九州平定の際に本領を安堵され1590年に当主の宗義智が従四位下侍従・対馬守に任じられ成立しています。
その後、秀吉の朝鮮出兵の際に中継地となったり、朝鮮貿易が途絶えたこともあり藩財政が悪化して収入源として出水領(鹿児島)を与えられたそうですが出水領が朝鮮出兵の功績により島津氏に与えられることになり代替地として1599年(関が原の合戦の1年前になります)に田代が対馬藩の領土になったそうです。
(ウィキペディアによると唐津市の浜崎も飛び地だったそうです)

対馬に行かれた方はわかると思いますが対馬は山深く耕作に適した土地は少ないです。
田代には代官所が置かれ対馬から派遣された武士を中心の統治され田代での年貢米は貴重で藩の財政を支えたそうです
江戸時代初期に代官所の副代官だった賀島兵介という人物は田代領民から慕われたそうで現在でも命日には対馬市、鳥栖市、基山町で行政の関係者集まっているそうです。

対馬市の小学校の校長先生が佐賀県との歴史的つながりを学ぶ機会がないこと、地域をみつめ直すきっかけになればと思い2011年より修学旅行の行程に組み込み地元の小学校との交流もあるそうで今年も鳥栖の小学校の児童と一緒に市民ガイドの話を聞いたり町を歩く予定だそうです。
鳥栖からも夏休みに体験交流として夏休みに2012年より小中学生が約30人対馬に訪れているそうそうです。

田代は行った事はないのですがJRで佐世保から博多へ行くときに長崎本線が鹿児島本線と合流する鳥栖駅の次にある小さな駅がある町というイメージがあります。
(鳥栖駅は今でも大きな駅ですがかつては何本もの線路が走る巨大な操車場があり田代駅はその端にある駅という感じでした。
操車場の跡地は今ではサッカーの鳥栖スタジアム(サガン鳥栖の本拠地になります)や大きなマンションが出来て風景も変わってしまいました)
また富山ほど有名ではないかもしれませんが江戸時代からの田代売薬、その流れを汲む久光製薬の本社がある薬の町というイメージもあります。

田代が対馬藩の飛び地だったことは私は全く知りませんでした。
明治になり藩がなくなり長崎県と佐賀県という別の自治体になり150年近く経っていますが今でもこうして両方の町で交流があることは素晴らしいと思います。
対馬はもちろんですが福岡のベットタウンで新しい住民が多いと思われる鳥栖の人たちが地元のこと、そして対馬に関心をもってもらえる機会が出来ていることはとても良いと思います。

自分達が暮らしている街にどんな歴史がありかつてどこの街とつながりがあったかなど知らない人は多いと思います。
平成の大合併などもありこれから、益々わからなくなっていくと思います。
郷土のことを学校での授業や自治体の広報活動の事などいろいろな機会を通して知り学べるようにして欲しいです。


※長崎新聞を参考にしました
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