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佐用姫伝説と大伴氏
佐用姫伝説と大伴氏

少し前になりますが、NBCで沢村一樹が浅見光彦を演じた内田康夫原作『佐用姫伝説殺人事件』が再放送されていました。
「羽衣伝説」、「浦島伝説」(「竹取物語」が入ることもあるそうです)と並んで日本三大伝説(悲恋)の一つと言われている松浦佐用姫伝説を効果的に使ったこの物語は有田焼の陶芸一家の血縁関係と師弟関係を軸に盗作問題などが絡まり合いながら連続殺人事件・ヒロインの悲恋の結末が描かれます。
印象的なプロローグ、主要舞台が有田・唐津・呼子とお隣の佐賀県であること、佐用姫とオーバーラップする実の親を知らないどことなく翳のある魅力的なヒロイン…数多くある浅見光彦が主人公の作品のなかでも大好きな小説・ドラマの一つです。
三度ドラマ化されていてそれぞれ遥くらら、床嶋佳子、南野陽子がヒロインを演じています。
それぞれが魅力的で素晴らしいと思いますが個人的には遥くららがヒロインを演じた水谷豊版が作品もヒロインも一番好きです。
彼女は引退していますがこの作品と「真田太平記」が好きでした。

この物語の重要な鍵にもなっている松浦佐用姫の話は「肥前風土記」にも記載がある古くから唐津地方に伝わる話でいろいろな話があり後日談もいくつかあるようです。(風土記では弟日姫(おとひひめ)の名前で出ているようです)
ご存知の方も多いと思いますが一番有名な話は
〔新羅に圧迫されていた任那、百済を救援するために朝廷の命を受けた大伴狭手彦は朝鮮半島に渡る途中、準備のため唐津に滞在します。そこで狭手彦が地元の長者の娘佐用姫と恋仲になります。やがて出発の準備が出来、別れの日に船が出航する際、別れを惜しむ佐用姫は鏡山に登り、船に向かって領巾(ひれ)を振り続けます。船が遠ざかるにつれどうしても名残惜しい佐用姫は山を下り、途中、形見にもらった鏡を落としてしまいますが追い続け呼子の加部島まで追いかけて行きます。やがて船は見えなくなり佐用姫は悲しみのあまり7日間泣き続け石になってしまう…〕
になります。
唐津にはいろいろな史跡がありますが鏡山(領巾振山)、衣干山、田島神社(加部島)など佐用姫に関係する史跡もいくつか残っています。

佐用姫自身はモデルはいるのかもしれませんが実在の人物ではありません。ただ大伴狭手彦は実在の人物になります。
狭手彦は武烈・継体・安閑・宣化天皇の時代に大連として朝廷の実力者だった大伴金村の次男になります。
大伴氏は日本書紀や古事記にも登場する古い氏族になりますが実在の可能性があるのは金村の祖父と言われている室屋からではないかといわれています。
金村の時代に大伴氏は権力者として最盛期を迎えます。
この時期は武烈天皇の死による応神ー仁徳王朝の終焉、応神天皇の五世孫と言われる継体天皇の出現、筑紫君磐井の乱、継体天皇の子供で母が違う宣化=安閑天皇と欽明天皇との対立?朝鮮半島の混乱など国内外で古代史の大きな謎や出来事が続きます。
欽明天皇に変わった540年(532年の説もあります)に金村は任那4県の譲渡や賄賂問題など過去の出来事を物部氏や蘇我氏に責められ失脚・引退したと言われています。その後のことや没年もよくわかりません。
狭手彦が朝廷の命を受け朝鮮に出兵したのは537年と伝えられてます。
すでに翳りがみえていた大伴氏の権力回復のため、また金村の父の談は以前、朝鮮で戦死したと伝えられておりその弔いも兼ねての遠征だったかもしれません。佐用姫との話はこのときのことになります。
その後、562年に再度、狭手彦は遠征し・活躍したと伝えられています(信憑性を疑う説もあります)
その後の狭手彦のことや没年もよくわかりません。
金村の失脚後、大伴家は停滞期に入り政治の中枢からは外れてしまいます。
また大伴氏の嫡流は狭手彦の系統ではなく兄弟と言われている咋子の系統に引き継がれていくことになります

大伴氏が復権するは狭手彦の最初の朝鮮出兵よりおよそ150年後の壬申の乱の功績が評価されてになります。
ただその頃は藤原氏という新興勢力が政権中枢で大きな存在になっていました。
 
史実と伝説が入り混じった佐用姫伝説ですがこの話がそれほど有名でないかもしれませんが現在まで残り、九州のみならず日本各地に広まったのは筑前守として太宰府に赴任していた貧窮問答歌や万葉歌人として知られる山上憶良の力が大きいと言われています。
山上憶良は大伴氏の一族で当時、太宰帥として太宰府に赴任していた大伴旅人らと筑紫歌壇と言われる歌のグループを形成します。壬申の乱からおよそ50年後になります。
佐用姫に関する歌を数多く憶良や旅人は残しています。そうした歌を通して佐用姫の伝説は全国に広まり様々な形で残っています。
テレビで話題になった兵庫県議が城崎温泉の次に訪れていた佐用町にも佐用姫に関する話が残っているようです。

憶良や旅人が活躍してからおよそ170年後、その太宰府の地に菅原道真が左遷されてきます。
菅原道真の母は伴真成の娘と伝えられています。
伴真成は大伴狭手彦から6世の孫と伝えられています。(大伴氏は途中で伴氏に改姓しています)
失意の道真が母方の先祖のことを意識していたとは思えませんが母方とはいえ狭手彦の末裔の子供である道真が数多くの伝承が残る唐津に近く、その伝承を広めた憶良や旅人が活躍した九州の地、太宰府に左遷されたのは何か不思議な因縁があるように思えます。
学問の神様として道真を祀る「太宰府天満宮」は今も多くの参拝者を集めています。

最初の征夷大将軍として名前が残る大伴弟麻呂をはじめ東北での活躍が目立つ大伴氏ですが、狭手彦・旅人そして旅人の息子の大伴家持は薩摩守を経験しており九州でも大伴氏は大きな足跡を残しています。

大伴氏は数々の政争に巻き込まれ力を失い歴史の表舞台から姿を消していきますが「佐用姫伝説」として、また「竹取物語」の中でも壬申の乱でも活躍した実在の人物・大伴御行が、かぐや姫への求婚者の一人として登場します。
藤原氏による権力集中・圧政に対する反感もあってか物語や歌、伝承の中で大伴家の人々は生き続けています。

今年から西鉄が天神から太宰府まで直通する快速の観光列車「旅人号」の運行を開始しました。
太宰府に足跡を残した大伴旅人を意識したネーミングだと思います
太宰府というと菅原道真は有名ですが大伴旅人の事はそれほど有名ではないと思うので「旅人号」のニュースを聞いたときは何か嬉しく思いました。
更に西鉄は博多から福岡空港を経由する太宰府への直通の「太宰府ライナーバス旅人」も走らせています。こちらも好調で増便されています。
歴史の街・太宰府への旅が便利になっています





参考にした本「浅見光彦のミステリー紀行 第2集」、「松浦さよ姫伝説の基礎的研究」、「日本の古代氏族4 大伴氏」「日本の歴史1 神話から歴史へ」、歴史読本「敗者の古代史」・「古代 謎の人物273人」、「古代の王朝と人物」
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