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64回カンヌ映画祭 1 ~キャロル・ブーケそしてジャン=ピエール・ラッサム~
64回カンヌ映画祭 1 ~キャロル・ブーケそしてジャン=ピエール・ラッサム~

5月14日より25日まで今年もカンヌ映画祭が開催されました。
オープニング上映作品がいろいろと話題になったオリヴィエ・ダアン監督の『グレース・オブ・モナコ公妃の切り札』。
クロージング作品としてマカロニ・ウエスタン誕生50周年を記念してセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』の復刻版が上映されました。
50年というのはすごいですね。主演だったイーストウッドがまだ活躍していることを思うと改めてイーストウッドの息の長さ、すごさがわかります。

コンペティション部門には18作品がノミネート、上映されました。
作品自体は知らない作品ばかりでしたが監督をみてみるとマイク・リー、トミー・リー・ジョーンズ、デヴィッド・クローネンバーグ、ケン・ローチ、ジャン=リュック・ゴダールと私でも知っている名前も並んでいました

コンペ部門は今年は審査員長が『ピアノ・レッスン』で有名なジェーン・カンピオン監督。、
他にキャロル・ブーケ(女優)、フランシス・コッポラの娘ソフィア・コッポラ(監督・脚本家・プロデューサー)、レイラ・ハタミ(女優)、チョン・ドヨン(女優)の女性5名、
そしてウィリアム・デフォー〈男優)、ガエル・ガルシア・ベルナル〈男優・監督、プロデューサー)、ジャ・ジャンクー〈監督・脚本家・プロデューサー)、ニコラス・ウィンディング・レフン〈監督・脚本家・プロデューサー)の男性4名
9人の審査員でした。
審査員のうち私が名前を知ってた人が4人(カンピオン、ブーケ、コッポラ、デフォー)でした。

日本から出品された河瀬直美監督の『二つ目の窓』は前評判もかなり良くて女性の審査員も多かったので何か賞は取れるのでは…と期待していましたが残念ながら受賞は逃しました。
〈自分が全身全霊かけてつくった作品が受賞できなくて悔しい、さすがカンヌで、これらまた目標ができた…〉
このような事を河瀬監督はコメントしてました。 なんか潔くてとても好感が持てました。
ノミネートされることだけでも素晴らしいことですしこれから必ずまたチャンスもあるでしょう。
更なる活躍を期待したいですね

短編部門にノミネートされていた東京芸大大学院の佐藤雅彦監督と教え子5名が監督した『八芳園』も残念ながら受賞はなりませんでした。

ただ世界の映画学校で製作された短編や中篇を集めたシネフォンダシオン部門で『OH LUCY!』(オー、ルーシー!)という平柳敦子監督の日本映画が第2位というのは嬉しかったですね。
ほとんど無名といっていい学生の作品に桃井かおりが出演していたのも彼女の映画に対する姿勢、心意気が感じられて嬉しかったです。
監督が直接、桃井かおりに出演を依頼したようです。平柳監督の行動力もすごいと思います。
またこの部門の審査委員長が『友達のうちはどこ?』のイランの映画監督アッパス・キアロスタミというのも嬉しかったです。
短編ですし一般公開というのは難しいかもしれませんがどういう方法でもいいので多くの人が観ることができる機会を提供して欲しいです


コンペテションの審査員のなかにキャロル・ブーケの名前がありとても懐かしかったです。
彼女は私にとっては『007/ユア・アイズ・オンリー』が思い浮かびます。
目の前で両親を殺され復讐を決意しているどことなく憂いのあるボンドガールでした。
もう一人のボンドガール?のリン・ホリー・ジョンソンの健康的な明るさと対照的で良かったですし、ボンドに協力するトポル(『フォローミー』『屋根の上のバイオリン弾き』)も良かったですね。
007がこれほど長く存続している大きな理由の一つはその都度、時代の空気や他の映画、そしてこれまでの自作の歩みを考慮して、新作を軌道修正してきたことだと思うのですがこの映画も前作の『007/ムーンレイカー』が面白かったけれどやりすぎで、これからどうなるのか?といった感じだったので、どうすればこれまでのファン、新しいファンに満足してもらえ面白くなるか…と考えいろいろな要素を取り入れながら作った感じで悪くないと思いました。
主題歌を歌ったシーナ・イーストンも大好きでしたし映画館に何度か通った映画です。

ボンドガールもフランスの女優さんがヒロインになった「007/サンダーボール作戦」のクロデューヌ・オージュ、「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」のソフィー・マルソーと、3人とも独特の個性がありそれぞれ素晴らしかったと思います。

そして学生時代にフランス映画祭があり徳島でキャロル・ブーケも出演していた『料理は冷たくして』を観ました。
(他にジャック・ドゥミー監督の『ロバと王女』、ロミー・シュナイダー主演の『華麗なる女銀行家』を見た記憶があります。まだ他にも観たと思いますが何を観たか忘れてしまってます)
映画祭の作品全てが英語の字幕スーパーで内容はほとんどわからなかったですが字幕無しでもそれなりに映画は楽しめることがわかりました。

彼女のデビュー作はピエール・ルイス原作(以前は角川文庫から出版されていましたが絶版かもしれません)ルイス・ブニュエル監督の遺作『欲望のあいまいな対象』になります。

この小説は何度か映画化されていて私が知っているだけでも、1934年のジョセフ・フォン・スタンバーグがマレーネ・ディートリッヒ主演で撮影も担当した『西班牙(スペイン)狂想曲』、そしてジュリアン・デュヴィヴィエが監督してブリジッド・バルドーが主演した『私の体に悪魔がいる』の2本があります。

スタンバーグ、デュヴィヴィエ、ルイス・ブニュエルと3人の著名な監督が同じ原作を映画化していることはとても興味深いです。
『西班牙狂想曲』は監督スタンバーグ=主演ディートリッヒというハリウッド神話の伝説のコンビの最後の作品として割と知られているかもしれませんがブリジット・バルドー主演の『私の体に悪魔がいる』はほとんど語られないですね。

『私の体に悪魔がいる』は『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』を読みますとデュヴィヴィエ自身、失敗作といっています。スタンバーグの作品と比較されたりして厳しい評価になっているのかもしれません。
ただデュヴィヴィエ初のカラー作品ですし、バルドーが出ていますし是非、観てみたい作品です。
もちろん未見のスタンバーグの『西班牙狂想曲』も観てみたいですね!
スタンバーグ=ディートリッヒのコンビ作は4作目の『上海特急』までは観ることができてもそれ以降の三作品(『ブロンド・ヴィナス』、『恋のページェント』、『西班牙狂想曲』は観ることができなくて残念です

ブニュエルの映画ではキャロル・ブーケはアンベラ・モリーナとで二人一役!という、みたことがない難しい役に挑戦していました。あのとき彼女は20歳前だったのですね。ちょっとびっくりします。
人間の複雑さ、二面性、多面性を描き出すことがブニュエルの映画の一つの特徴だと思いますが二人一役という設定にして新たな方法で二面性を描き出す感じで興味深かったです。
ブニュエルは最後までブニュエル!でした。
翻弄される初老の男性を演じたフェルナンド・レイはとても良かったと思います。

フランスの女優さんはジャンヌ・モローやカトリーヌ・ドヌーブをはじめとして女優さんが年を重ねても第一線で長く活躍することが多いですがキャロル・ブーケも私は作品は観ていませんが現在も女優さんとして活躍しています。
かつてはシャネルのモデルをしたり他の映画祭などで審査員をしたり日本にも『フランス映画祭』のフランス代表団の団長として来日したりしています。
今やフランスを代表する女性・女優さんの一人になっているようです。


キャロル・ブーケは私が知っているだけで3回結婚して、1回目がプロデューサーのジャン=ピエール・ラッツサム、2回目がフランスの有名俳優のジェラルール・ドパルデュー(正式な結婚か事実婚だったのかよくわかりません)、3回目は薬学士の方と伝えられています。

最初の結婚相手はプロデュサーのジャン=ピエール・ラッサムは一時期はフランス映画のトップとして大活躍したプロデューサーになります。
私がラッサムの名前を知っているのは山田宏一さんの『友よ映画よ~わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』を読むことができたおかげです。

この本はフランスに留学されていた山田宏一さんが滞在時にトリュフォーやゴダールなどヌーヴェルヴァーグの映画人との交流・その後が描かれています。
山田さんのヌーヴェルヴァーグへの想いに溢れたとても素晴らしい本ですがそのなかでラッサムも妹のアンヌ=マリー〈監督、プロデューサー、俳優として活躍したクロード・ベリと一時期結婚していた)も映画を観て語り合った青春の大切な仲間として登場します。

ラッサムは1941年にレバノンで外交官の子どもとして生まれています.。
〈ゴダールとブレッソンとポランスキーのプロデューサーになることが夢〉と若い頃から宣言していて実際に3人の作品を手がけています。

興行的には大失敗だったそうですがロベール・ブレッソンの20年来の企画だった『湖上のランスロ』(1974年・日本未公開)を製作しています。
またロマン・ポランスキーでは『海賊』(1976年・製作中止)に取りかかり海賊船を作ったところで製作中止になり一度、破産に追い込まれています。海賊映画はお金がかかり製作するのが大変みたいです。
(その後ポランスキーは10年後に日本未公開作ですが『パイレーツ』〈1986年)を監督しています。かつてラッサムが製作しようとした映画とは直接は関係はないのかもしれません よくわかりません)
ナスターシャ・キンスキーが主演して日本でも公開され話題になったポランスキーの『テス』(1979年)は義弟だったクロード・ベリが製作しています
(そのときはラッサムはドラッグで廃人同様になっていたそうですが最初はラッサムも関わっていたのではないかと思います)

ゴダールの映画も製作しています。
ゴダールとラッサムについては次に別に書く予定です。

ラッサムは公言していた3人の監督のプロデュースの他にもクロード・べりと一緒に当時のチェコスロバキアの監督で、後にアメリカで『カッコーの巣の上で』、『アマデウス』を撮ることになるミロシュ・フォアマンたちと交流を持ちチェコやポーランドなど東欧の映画人の亡命やアメリカ進出の手助けをしています。
またジャン・ユスターシュ監督の『ママと娼婦』やモーリス・ピアラ監督、イタリアのマルコ・フェレーリ監督の映画を製作したりしています。
またトリュフォーの推薦により後に『クレイマー・クレイマー』を撮るロバート・ベントン監督の最初の監督作品『夕陽の群盗』に携わったり『地獄の黙示録』のフランスでの配給を手がけたり…と他にも様々な映画を製作・配給して大活躍しています。
ただ彼は1970年前半からうつ病に苦しみアルコールやドラッグ中毒になり1985年に43歳で睡眠薬を多量に服用して急死しています。

山田さんの『友よ映画よ』はジャン=ピエール・ラッサムが亡くなる前の年に残した言葉が掲載されています。
そのまま抜粋させていただきます。
「俺の人生?そんなものはどうでもいい。映画について語ろうじゃないか。そのほうがずっとおもしろいにきまっている。俺の成功は、不幸のどん底で力を失わずにかがやいていられたことだ。どんなにひどい目に遭っても、俺は絶望しなかった。仕事でも、恋愛でも、俺はとことん突っこみ、暗黒の地獄に堕ちることをおそれなかった。どんなに夜が長く暗くても、いつか夜明けとともに光がさしてくることを俺は知っていたからだ。映画とはそういうものだーネガとポジー陰陽相俟って、映画は映画たりうるのだ。そこに魔術がある。映画とは光をうつしだす魔法の鏡なんだ」
(「カイエ・デュ・シネマ」1985年3月号ガイヤック・モルグによるインタビュー)

いまも女優として着実な歩みを続けるキャロル・ブーケと対照的にラッサムは短い期間だったかもしれませんがゴダール、ブレッソン、ポランスキーの映画製作という夢に挑み、他にもいろいろな映画人にも全精力を懸けて取り組んだ人でした。

俳優や監督と違いプロデューサーは陰の存在であり映画を観るものとってはあまり語られることは少ないですがそもそもプロデューサーという鏡がいないと映画の企画、製作は成立しません。
ラッサムの映画史に残した足跡は忘れてはいけないと思います。
2007年にラッサムの伝記が発行されています(翻訳はないようです。)


*『友よ映画よ〈わがヌーヴェルヴァーグ誌〉』(話の話集) 『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』(国書刊行会)、『亡命者たちのハリウッド』(作品社)、ウイッキペディアなど参考・引用させていただきました

     
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