FC2ブログ
shiomi116
カテゴリ



アクセス数



プロフィール

shiomi116

Author:shiomi116
FC2ブログへようこそ!



最新記事



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



ルイーゼ・ライナー ~『グレート・ワルツ』3~
ルイーゼ・ライナー ~『グレート・ワルツ』3~


久しぶりのジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「グレートワルツ」になります。

この映画はワルツ王と言われたヨハン・シュトラウス2世を主人公とした音楽映画になります。
デュヴィヴィエは第二次世界大戦中はアメリカに亡命することになりますがこの映画はそれ以前、『望郷』、『舞踏会の手帖』などの映画が評判になりアメリカに招かれて撮った作品になります。

まず脚本などスタッフについて書く予定にしていたのですが資料が少なかったり判らないことが多くて本を購入したり、本を購入しようとか…いろいろとしています。なかなか書けないでいます。
たいしたことが書けないことは判っていますが少しでも自分なりに納得できる内容にできたら…と思っています。

まず出演者を書く予定にしています。こちらも資料が少なくまたなじみのない俳優さんばかりでできるかどうかわかりませんがヒロイン(パン屋の娘)を演じたルイーゼ・ライナー、ヨハン・シュトラウス2世を演じたフェルナン・グラヴェ、歌姫・カーラを演じたミリザ・コリウス、パトロンのホーヘンフリード伯役のライオネル・アトウィルを取り上げれたら…と思っています



今回はルイーゼ・ライナー(Luise Rainer)です。

ルイーゼ・ライナーは今では殆ど知られていない女優さんだと思います。
私もこの『グレートワルツ』を観るまでは殆ど知らない女優さんでした。
資料はやはり少ないです。

ただ彼女は少なくともいくつかの事でこれからも(アメリカ)映画史に残る人だと思います。
そして素晴らしいことでびっくりすることですがまだ彼女は今年104歳ですが健在!のようです
70年以上の前の映画に主演した女優さんがまだ存命なのは奇跡的なことだと思います

まず彼女の略歴を書きます(ウイッキペディアの記事が中心になります

1910年、ドイツのデッュセルフドルフにユダヤ人の両親の間に生まれています
その後ウィーンに移り、1928年に舞台女優として女優の道を歩み始めたようです。
ドイツの舞台演出家・プロデューサーなどとして名高いマックス・ラインハルトの下でベルリンやウィーンで舞台で俳優として活躍していたようです。
(『グレートワルツ』の原作はマックス・ラインハルトの息子のゴットフリード・ラインハルトになります。マックス・ラインハルトは1934~1935年の間にアメリカに亡命しているようですのでアメリカでマックス・ラインハルトとルイーゼ・ライナーは再会しているのでは…と思います。ラインハルト親子については別に書けたら…と思っています)


ウィッキペディアでは渡米前、1930年代初期に3つのドイツ映画に出演となっています〔作品名の記載はありません)
3本の映画ですがおそらく日本未公開作ではないかと思われます
1930年 『Ja、der Himmel uber Wien』(短編)
1932年 『Sehnsucht 202』
1932年 『Madame hat Besuch』
1932年 『Heut‘ kommt`s drauf an』 クルト・ゲロン監督 共演ハンス・アルバート
(インターネットに上記の4本の記載がありおそらくウィッキペディアに書いてあるのは短編以外の3作品ではないかと思われます)
この作品を最後に、渡米してMGMと契約しているようです
MGMと3年契約を結んでいるようですが渡米前後の詳しいことはよくわかりません。
渡米は彼女がユダヤ人であることも当然、影響していると思います。

1933年 『逢瀬いま一度』(Escapade )ロバート・E・レナード監督 共演ウィリアム・パウエル
1936年 『巨星ジークフェルド』 ロバート・E・レナード監督 共演ウィリアム・パウエル  アカデミー主演女優賞
1937年 「大地』 シドニー・フランクリン監督 共演ポール・ムニ アカデミー主演女優賞
1937年 『The Emperor‘s Candlesticks』 ジョージ・フィッツモーリス監督 共演ウィリアム・パウエル 日本未公開
1937年 『大都会』 フランク・ボーゼージ監督 共演スペンサー・トレンシー
1937年 『The Toy Wife』 リチャード・ソープ監督 共演メルヴィン・ダグラス 日本未公開
1938年 『グレートワルツ』
1938年 『Dramatic School』 ロバート・B・シンクレア監督 共演ポーレット・ゴダード 日本未公開
1943年 『Hostages』(決死のD-1計画) フランク・タトル監督 アルトゥーロ・デ・コルドバ 日本未公開
1965年 『コンバット』 テレビシリーズ ゲスト出演
1965年 『ラブ・ボート』 テレビシリーズ ゲスト出演

MGMはグレタ・ガルボのライバルとして考えていたと記載してあることが多いのですが、ガルボは当時、MGMと契約していたと思うので私の勝手な推測ですが出演ごとに高額のギャラを払わないといけない大スターであるガルボの後継者、後釜と考えていたのは…と思います。
アカデミー賞でルイーゼ・ライナーが『大地』で主演女優賞を受賞した際はガルボの『椿姫』が有力と思われていたようでライバル関係でもあったのも事実だと思います。…このあたりはよくわかりません
ルイーズ・ライナーは1936年の『巨星ジークフェルド』、1937年の『大地』と2年連続してアカデミー賞の主演女優賞を受賞しています。
演技賞として2年連続受賞は男女通じて彼女が初めてとなります。
映画史上に残る快挙なのですが『巨星ジークフェルド』はあまり台詞もないような役で、『大地』ではドイツなまりがひどかったそうでなぜ受賞できたのかオスカー史上の謎とも言われているようです。
両方の作品とも私は観ていなくてなんとも言えませんが両作品ともDVDは廉価で発売されていると思います。
(この2本と『グレートワルツ』は彼女の出演作のなかで比較的容易に観ることができると思います。)
ただ当時から不自然な受賞のことは本人も判っていたでしょう。
また相当なねたみ・中傷などもあったと思います。
この2年連続の受賞が重荷となったのかハリウッドから姿を消すこととなります。
彼女が歯に衣着せぬ発言をしたり、ハリウッドが好きになれなかったという話もあります。
そんな彼女をハリウッド名物のゴシップ・コラムニストのルエラ・パーソンズは〈オスカーの呪いを受けた者〉「オスカーの最初の犠牲者」と呼んでいます。
(このあたりのことは川本三郎さんの『アカデミー賞~オスカーをめぐるエピソード~』で紹介されています)

その後はニューヨークやロンドンの舞台で活躍していたそうです。
戦後からはロンドン郊外に住んでいるそうです。
舞台の他、60年代以降には「コンバット」などテレビドラマにゲスト出演などもあるようです。

長い年月が彼女のハリウッドに対する考えを変え、心を溶かしたのたのでしょうか、1998年と2003年のアカデミー賞の授賞式に出演されています。
また2011年に母国、ドイツのベルリンにある「スター通り」に彼女の名前が刻まれた星型のプレートが設置され、その式典に101歳の彼女が車椅子で出席したそうです

初の主演女優賞連続受賞、そして「オスカーの呪い」の最初の犠牲者として映画史に残る彼女ですがもう一つ注目していいのは彼女の最初の結婚相手が劇作家・脚本家として有名なクリフォード・オデッツということです。

オデッツは最初、俳優として出発し、リー・ストラスバーグなどとグループ・シアターを結成し、共産党に参加後、劇作家に転向して「レフティを待ちながら」、「醒めて歌え」などを発表して注目をあびることとなります
その後、ハリウッドに招かれ脚本や脚色・監督の仕事もしています。
主な作品としては「ユーモレスク」や「アメリカ交響楽」、「タイムリミット25時」(日本未公開ですが大好きなコーネル・ウールリッチの長編「暁の死線」の映画化になります。一番好きなウールリッチの小説になります。短編としてほぼ同じ内容で短編で「バスで帰ろう」もあります。とても観たい映画です!)などがあります。
後に彼は赤狩りに巻き込まれることとなります。

オデッツとは1937年から3年の結婚生活を送っています。
離婚はオデッツの浮気〈不倫)が主な原因のようですがこの結婚の破綻も彼女がハリウッドから遠ざかった原因かもしれません
『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』ではオデッツとの離婚騒動でライナーはMGMから契約を解除されたとの記載があります。
勝手な推測ですが「せっかくヨーロッパから連れて来てスターにしようとしていたのに結婚なんかして…」とMGMは結婚自体に反対だったかもしれません。

彼女が生まれたのは第一次世界大戦の始まる前になります。
104年間は波乱万丈の人生かもしれません。
語られることは少なく、活躍した時期も、出演作も少ないですが、彼女は映画史に残る人です。
これからも是非、長生きして欲しいですね。

参考『アカデミー賞~オスカーをめぐるエピソード~』(中公文庫・川本三郎著)
   『映画監督ジュリアン・デヴィヴィエ』(国書刊行会・小林隆之・山本眞吾著)

スポンサーサイト



今、思うこと
今、思うこと

ご存知のように佐世保で大変な出来事が起きました。
このブログでは、政治的なこと、仕事のこと、家庭のこと、社会的な事件などは極力、取り上げないようにしています。
今回の事件のことも書くべきなのか…迷っています。

佐世保ではこれまでもいろいろな事件がありましたが今回の事件は衝撃的でとても悲しくただただ残念です。
自分自身、こうしてブログを書いたりしていますがインターネットなどが普及することが本当によいことなのかわかりません。
様々な事件が起こるとそう思います
今回は特にそう思います。
私達は警察官でも裁判官でもありませんので静かに見守りたいです。

亡くなった方のこと、残された家族の無念さ・悲しみを思うと言葉もありません。
ご冥福をただただお祈りするのみです。

時間はかかるかもしれませんが残された全ての関係者が良い方向にいくことを願ってやみません。


長崎県営バス 新路線8月1日運行へ
長崎県営バス 新路線8月1日運行へ

長崎県交通局(長崎県営バスがホームページ上で〔滑石団地~女の都団地〕、〔滑石団地~三原団地〕の2路線を8月1日より運行開始することが発表されました。

1、滑石団地⇔大神宮前⇔道の尾⇔赤迫⇔住吉(電車通り)⇔住吉(チトセピア前)⇔西浦上中学校前⇔昭和町⇔浦上水源地⇔女の都入口⇔女の都団地
便数は『滑石団地』発がが9時5分~18時25分まで  概ね20分おきに23便
    『女の都団地』発が8時40分~17時40分まで 23便
2、滑石団地⇔大神宮前⇔道の尾⇔赤迫⇔住吉(電車通り⇔長崎大学前⇔浦上署前⇔本原一丁目⇔聖フランシスコ病院⇔三原中央⇔三原団地
こちらは滑石団地発が8時00分~19時00分、1日5便、三原団地発が8時50分~17時50分、1日5便

長崎のことは人の流れや路線バスのことはよく判らなくて地図をみながら書いています

《滑石団地~住吉~女の都団地》
三原団地線の出発でもある〈滑石団地〉は実現は難しいのでしょうが現在、赤迫まで伸びている路面電車の延伸計画があるような長崎市内でも有数の大きな団地になります。スーパーや病院など人が集まるような施設もあります。

〈道の尾〉はJRの「道ノ尾駅」があり商業施設や大きな病院もバスが通る道路沿いや近くにあります。

〈赤迫・住吉は〉チトセピアなどが大きな商業施設や商店街がある長崎市北部の中心地です。病院・医院も点在しています。JRの「西浦上駅」が近くにあり路面電車も前述のように「赤迫」まで運転されています
途中の「昭和町」は高速バスも多数停車する長崎北部の交通の要衝であり長崎大学も近いです。

〈女の都〉も大きな団地になります。長崎自動車道から分かれている川平道路の女の都ランプが入口にありここも大きな団地です。病院やショッピングセンターやシーボルト大なども近くにあるようです。

地図上では〈滑石団地〉からは〈住吉〉を通らずに〈道の尾〉から〈浦上水源地〉の北を通り〈女の都〉に行くこともできます。その道路にもバス停はありルートはよくわかりませんがバスは運行されています。
こちらの方が距離が短く早く行けそうですがおそらくこのルートは人の流れから外れていて周辺の人口も多くないのかもしれません。
「滑石ー住吉ー女の都」間は今回23本と多くの本数が設定してあります。
1時間に3本という定時性も確保していますし乗り換えなくていいというメリットも大きいと思います
「滑石ー女の都」の間を通しての利用者もいるでしょうが区間利用のことを考えての運行・便数だと思われます。


《滑石団地~住吉~三原団地》
こちらは1日5本の設定になっています。
「住吉」からそのまま206号線を通り「長崎大学前」を通り左折して「浦上警察署前」を通り本原町経由して「聖フランシスコ病院」そして「三原団地」へと行く路線となります。

ここは「聖フランシスコ病院」という200床を超える大きな病院があります。
通院する人にとっては乗り換え無しというのは大きいメリットと思います
「三原団地」は全くわかりませんが地図で見るとかなり大きな団地になるようです。
バスはおそらく浦上や長崎駅方面など市の中心部へ行く本数が多いと思われます。
5本と便数は少ないですが〈住吉・道の尾〉方面に直接行くバスはバスの利便性が増すと思います。
こちらも〈三原団地ー滑石団地〉の全線通しての方よりも区間利用の方が多いと考えていると思います。

市の中心部へは行かず市北部の大きな団地間を北部の中心地の住吉を通り結ぶのは「住吉」「道の尾」など今回のバス路線の沿線にある商業施設等にも大きなメリットがあり、活性化に繋がると思います
そしてもちろん前述のように乗り換え無しという利用者にも大きなメリットがあります。
新しい人の流れなども生まれるきっかけになるかもしれません。
どのくらいの利用があるかよくわかりませんが今回の新しい路線が定着すればいいと思います。


追悼 ジェームズ・ガーナー
追悼 ジェームズ・ガーナー

アメリカの俳優、ジェームズ・ガーナーが7月19日に亡くなりました。86歳でした。

ジェームズ・ガーナーというとまず『大脱走』と『墓石と決闘』のジョン・スタージェス監督の2本の映画が思い浮かびます

オールスターキャストの映画は時間だけが長くて大味になりあまり面白くないことが多いですが『大脱走』は緊迫感そしてユーモアがあり3時間近い大作ですが長さを全く感じさせない何回でも観たいと思う映画です。
ジェームズ・ガーナーは調達屋のアメリカ人・ベントリーを演じてました。
マックイーンはじめみんな登場人物は良かったと思いますがガーナーのこの役柄はユーモアもありとても良かったと思います。
ガーナーの映画はその後、例えば『夕陽に立つ保安官』とかコメディタッチの映画が多いですがこの映画が出発点かもしれません。

『大脱走』。そして『荒野の七人』もそうでしたがジョン・スタージェス監督は複数の主要人物の個性を魅力的にシャープに演出するのに長けていたと思います
インディアンの描き方など異色の西部劇が増えていく中で西部劇自体は面白さ・楽しさが失われていった思いますが『OK牧場の決闘』、『シノーラ』、『ガンヒルの決闘』そして『ゴーストタウンの決闘』…など西部劇やアクション映画で心意気のある面白い映画をつくった人としてスタージェスはもっと評価していい人だと思います

そういう映画のなかにジェームズ・ガーナーが主演したスタージェスの映画が『墓石と決闘』があります。
『OK牧場の決闘』の続編になり、ワイアット・アープ、ドク・ホリディとクラントン一家の生き残りの抗争を描いた映画です。
ガーナーがワイアット・アープ、ドク・ホリディがジェイソン・ロバーズ、悪役のクラントンにロバート・ライアンとこれも魅力的なキャスティングでなかなか見ごたえのある面白い映画でした。
もう一度観てみたい好きな映画です。



ジェームズ・ガーナーは西部劇やアクション映画のイメージが強い人ですが私がフィルモグラフィーをみて最初に記憶しているのがウィリアム・ワイラー監督の『噂の二人』(1961)になります。

この映画はアメリカの女性劇作家リリアン・ヘルマンの戯曲の映画でワイラー自身1936年に一度、映画化しています。
私は学生時代に観たきりですが同性愛を背景にした心理劇でとても重たいテーマを扱っていますが感動しました。
オードリー・ヘップバーンとシャーリー・マクレーンも頑張っていますが脇のミリアム・ホプキンスとかガーナーとか良かったと思います。そして子どもの演技がすごかったですね
最初の映画作『この三人』はフィルムコードに引っかかり大幅に内容を変更して映画化しているようでそのこともありワイラーは再映画化を考えたようです。

ただ私は良い映画と思いますが『噂の二人』はあまり評判はよくないようです。
私は原作も読んでなくて『この三人』も未見なのでなんとも言えないのですが『この3人』は内容の変更があっても素晴らしかったようです。
『噂の二人』にも出演していたミリアム・ホプキンス。そしてマール・オベロンが主演になります。
この話では一人の男性をめぐる二人の女性の話になっているようでこの男性役はジョエル・マクリーが演じています。

『噂の二人』ではジェームズ・ガーナーはヘップバーンを支える婚約者という役柄でした。
二人の関係に疑いを少し抱くようなシーンもあったり(記憶違いかもしれません)難しい役柄でしたが抑えた演技で良かった思いました。


ガーナーはテレビのドラマシリーズの1957年から始まった『マーベリック』などで有名になり、映画出演も続きますがその後、代表作の一つに挙げられていた『ロックフォード氏の事件メモ』などテレビの世界でも活躍されています。
観ていない作品が多いのですが映画では『夕陽に立つ保安官』、『グラン・プリ』や『ビクター/ビクトリア』は観ています
自身の主演したドラマの映画化でメル・ギブソンが主演した『マーベリック』もありました。
未見のなかで特に観てみたい映画にフィリップ・マーロウを演じた『かわいい女』があります。
私は原作が好きなので私の中ではフィリップ・マーロウとは若干イメージが違うのですがどう演じているのか興味があります。

2000年にイーストウッドの『スペースカウボーイ』に宇宙飛行士役で出演していました。これはとても良かったです。
この映画はもう10年以上前の映画になるのですね。
日本公開作の最後の作品が『きみに読む物語』『2004年)これは残念ながら観ていません。

熱心なファンというわけではありませんでしたが観ることが出来た映画ではいい味を出していた方でした。
主役も脇役も、コメディタッチな役もシリアスな役もできる人で甘いマスクで女性には人気があったのでは…と思います
アメリカの俳優さん!という感じで爽やかでユーモアのある人でした。
観ていない映画も多いので特に西部劇とか探偵物とか機会があれば観てみたいですね!
また素敵な俳優さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。


追悼 鈴木則文監督
追悼 鈴木則文監督

映画監督、脚本家として活躍された鈴木則文監督が5月15日に亡くなりました 80歳でした。

先日、本屋に立ち寄った際、雑誌のコーナーにトラック専門マガジンの『トラック魂』(交通タイムズ社)という雑誌で鈴木監督の追悼企画が掲載されていました。
巻頭に特集が組まれていて「トラック野郎シリーズ」の撮影時の写真や映画の写真、そして「さようなら わが映画の父 鈴木則文」という小川晋さんの追悼文が載っていました。
筆者の鈴木監督に対する思いが溢れるとても素晴らしい内容でした。
最初は立ち読みだけ…と思っていましたがやはり買ってしまいました

鈴木監督といえばやはりこの『トラック野郎』シリーズということになるのでしょう。
『トラック魂』の特集では〈鈴木則文監督 夢をありがとう、 トラック野郎の魂よ 永遠なれ〉 との見出しになっていて
紹介文では「(略)本誌読者のみなさんも映画のなかで活躍する星桃次郎や一番星号に憧れて、トラッカーになられた方も多いかと思われる。映画を通じて夢や希望、そして感動を与えてくれた鈴木監督に、心から哀悼の意を表します」と記してあり撮影時の写真なども掲載されていました。

私が映画を観始めた頃、「トラック野郎」シリーズは看板映画でお正月に東映の正月映画として松竹の『男はつらいよ』のライバル(寅次郎と桃次郎!)という感じで上映されていましたね。
ただ私はどちらかというと洋画が好きで映画館に、このシリーズも寅さんも観にいったことはありませんでした。
寅さんは高校生になってから見に行くようになりました、もうその頃はトラック野郎シリーズは終わっていました。
シリーズの合間に鈴木監督が撮った『ドカベン』は観にいきましたね。
私は自分がプレーするのは下手なのですが野球は大好きでテレビ・ラジオ中継はいつもみたり聞いたりしていました。
野球のアニメや漫画も好きでした。『ドカベン』も大好きで小学生でしたが一人で観にいきました。
忘れてしまっていて今、観るとかなり印象は違うかなと思うのですが、柔道の話が長くて野球のシーンが少なくてがっかりした記憶があります。

『トラック野郎』シリーズ終了後、鈴木監督は『忍者武芸帳 百地三太夫』(1980年)『吼えろ鉄拳』(1981年)『伊賀野カバ丸』(1983年)『パンツの穴』(1984年)『コータローまかりとおる!』(1984年)『カリブ愛のシンフォニー』(1985年)『ザ・サムライ』(1986年)『大奥一八景』(1986年)『塀の中のプレイ・ボール』(1987年)と映画をコンスタントに撮られています。自分でもびっくりしますがこの時代は全部、観ていました。
ただこれは偶然で鈴木監督だからと観にいったというわけではなく真田広之が出ているから、時代劇で面白そうだから、漫画の映画化だから、観たい映画の同時上映だから(例えば「カリブ愛のシンフォニー」)という感じでいつのまにか映画館やテレビ、ビデオで観ていました。
その後の『文学賞殺人事件』と遺作になる『びんぱりハイスクール』は観ていません。
そして『トラック野郎』シリーズの以前の映画は監督作では『聖獣学園』しかみていません。


鈴木監督は亡くなるまでは知りませんでしたが、大学卒業後に東映京都撮影所に入社後、最初は内田吐夢や加藤泰の助監督をされていたんですね
他にも大好きな山下耕作監督の『関の弥太ッペ』の助監督もされていますね
『飢餓海峡』や『宮本武蔵』など戦前から活躍され多くの名作を作られていた内田監督、『瞼の母』や『陰獣』など多くの面白い映画をつくられた加藤監督、仁侠映画で手腕を発揮された山下監督。
そんな時代劇や仁侠映画などが盛んにつくられていた東映で、その担い手だった監督達の下で映画を修行されたのだから面白い映画作りに力を入れておられたのかもしれませんね
『続てなもんや三度笠』〈1963年)で脚本家としてデビュー。
そしてその後は多くの脚本を担当されています
特に藤(富司)純子主演の『緋牡丹博徒シリーズ』(お竜さんですね)で多くのシリーズの脚本を手がけられています
藤さんは訃報に接して「私が今あるのは、緋牡丹があるから…私の恩人でした」とコメントされていました
監督デビュー作は『大阪ど根性物語 どえらい奴』(1965年)

観客を楽しませる、あきさせない、面白い映画をつくる
それが鈴木監督の信条だったのかもしれません
キネマ旬報の2012年の11月下旬号で鈴木監督は新作映画、内田けんじ監督の『鍵泥棒のメソッド』を批評されており絶賛されています。
そのなかで鈴木監督は面白い映画の3要素として、1ストーリイが面白い、2その映画を象徴する名場面、見せ場がある、3主演俳優の魅力が輝いていることを挙げられ、この映画で脚本能力は優れて抜群、アイディアがよく、主人公の熱演はは笑いと哀愁に満ちていて、トリッキーで変化球を多投しているが偶然が運命に変化する人生の過酷な断面を明るく描いて新鮮である と書かれています。
この文章を読んで実際に映画の現場でシナリオを書き、演出をされている方の文章だな…と思いました。
おそらく監督が書かれていた3か条は『トラック野郎』に代表される鈴木監督の映画でも実践されていると思います
先日も衛星放送で片平なぎさが出演していた5作目の『度胸一番星』が放送されていました
現在BSで寅さんも土曜日にテレビ放映がされていますがこの『トラック野郎』も観ていても人情とか笑い、涙とか全然古くないし菅原文太も愛川欣也もいいですね。何度見ても、話がわかっていても映画が始まると話に引き込まれるし面白いですね
『トラック野郎』の最後の作品『故郷特急便』がつくられたのが1979年。
もう30年以上前の作品になりますが衛星放送などでも何回も再放送されこうして映画雑誌でないトラック雑誌でもその功績が取り上げられたりされています。

『キネマ旬報』の批評文の中で鈴木監督は映画の更に面白さとして〈もう一つの行事〉があり、それは映画の感想を知人・友人と語り合うことでそのことなくして映画は完結しないと書かれています
鈴木監督が残した作品達にはいわゆる〈名作〉はないかもしれませんが映画ファンだけではなく普通の、映画をときどき観るような多くの人々に愛されていくと思われます。
再上映などもあるようですしDVD、テレビ放映などで、お茶の間やお店やネット上などいろいろな場面でこれからも〈もう一つの行事〉も続いていくでしょう。
ご冥福をお祈りします

二つのテレビ番組 (『(ばらかもん』と『カンブリア宮殿』)
二つのテレビ番組 (『(ばらかもん』と『カンブリア宮殿』)

先週より日本テレビ系のNIB(長崎国際放送)で長崎県の五島を舞台にした『ばらかもん』というアニメが始まっています。
放送局により放送時間はまちまちのようですが長崎では土曜日の朝10時~10時30分に放送されています。

このアニメはウィッキペディアによりますとヨシノサツキという方の漫画作品のアニメ化になります。
『ガンガンパワード』という雑誌の2008年4月号に読み切り作品として掲載されたそうですが、反響が大きくて同年10月号に2話、翌年4月に3話が掲載されたそうです。
その後はウェブコミック配信サイト『ガンガンONLINE』で2009年2月21日より月に一回更新されており、6月現在で単行本が9巻発行され、累計200万部突破している漫画だそうです。

放送されるまで私はこの漫画やアニメ化のことは全く知りませんでした。
昨日、先週の土曜日に放送された第一話を録画で初めてみましたが面白かったですね。
第一話では若い書道家の主人公が自分の作品を酷評され、その相手を殴ってしまい、父親のはからいもあり頭を冷やし自分を見つめなおすために五島に転居してくる…といった話でしたが特に五島の住民との出会い、引越しの様子などが描かれていました。

20年以上前になりますが私の家族が仕事で単身、五島に住んだことがありました。
そのときに〈島の人はおせっかいで少し変?だけれどとても親切で素朴で良い人が多い。戸惑う事がたびたびある〉ということを聞いていました。
そしてそのことを最初に実感するのが引っ越してきたときで、そして最後にまた実感するのが引越すときだそうです。
今回、このアニメをみていてなるほど!と思いましたね
これからどういう物語が展開されるのか、島の人々とどういう交流があるのか、主人公がそれによりどう自分を変えて成長していくのか…毎週、楽しみですね。
また五島の様々な魅力が描き出されるとよいですね。(一話はその点も成功していると思います)
録画を忘れないようにしないといけませんね。



もう一つが『カンブリア宮殿』です
長崎では日曜日のお昼に放送されていますが1ヶ月以上遅れて放送されているようです。
この番組もNIB(長崎国際放送)で放送されています。
この番組で明後日(7月20日)は『アリアケジャパン』が取り上げられます
(ほかの地区では放送は終わっていると思います)

『アリアケジャパン』は天然調味料の製造会社でカップラーメンのスープや和風だし、外食チェーン用の業務用スープ、調味料などを手がけている会社で天然調味料の分野では国内トップシェアになるそうです。
本社は現在は東京ですが工場は佐世保市や隣の佐々町にあります。
松浦鉄道の線路のすぐ近くに佐々の工場はあります。
(近くに『小浦と』いう駅がありますが少し離れているので工場近くに駅があったら…と思ったりしています。)

高校のときの同級生など知り合いや知り合いの家族が勤めたりしている会社になります。
佐世保出身である村上龍さんがどういう切り口で『アリアケジャパン』を取り上げ、社長から話を聞きだし今後の展開・経営の極意などに迫るのかとても関心があります。
以前『リンガーハット』というやはり長崎チャンポンがメインの外食チェーンが取り上げられました。
そのときは村上龍さんがちゃんぽんに対する思い出、思い入れとか話されてとてもとてもよかっですね。
この『カンブリア宮殿』で以前、大学時代の友人が経営する会社が取り上げられ友人がテレビに出演したことがありました。
結婚式のときにスピーチをしてもらった人で阪神大震災で苦労してその逆境をバネにして飛躍している人です。

佐世保出身の人が手がけられていて、それに知り合いが出たり、地元の身近な会社が取り上げられたり…となにかとても気になる番組です。
この番組とか『ガイヤの夜明け』とか見損なうことが多々ありますが日本経済新聞が関係していることもあるのでしょうがとても見ごたえのある番組だと思います。
放送当日は仕事なのでこちらも忘れないように録画しないといけないなと思っています


宮崎空港ー延岡間に高速バス新規参入(ハッコーライナー)
宮崎空港ー延岡間に高速バス新規参入(ハッコーライナー)

7月1日よりハッコートラベルの『ハッコーライナー』が宮崎空港と延岡祇園町間で1日2往復高速バスの運行を開始しています。

ハッコートラベルはウイッキペディアによりますと宮崎県日向市に本社を置く旅行会社・バス会社です。
海運業、倉庫業、物流業を営んでいる八興運輸の関連会社になります。
2009年よりツアーバスとして福岡と宮崎県北部(高千穂・延岡・日向)を結ぶ路線に参入しています。
昨年より高速バスの新ルールに従い高速乗合バスに移行しています。

今回の『ハッコーライナー』の停車地と時刻は
延岡祇園町(5時20分/16時20分)→門川本町(5時40分/16時40分)→日向駅東口(5時50分/16時50分)→宮崎空港(7時00分/18時00分)
宮崎空港(10時00分/21時10分)→日向駅東口(11時10分/22時20分)→門川本町(11時20分/22時30分)→延岡祇園町(11時40分/22時50分)
と延岡市から門川町、日向市を経由して宮崎空港へ往復する便になっています。

一方、今年の4月より『宮崎交通』と『JR九州バス』が共同運行しています延岡と宮崎市内・宮崎空港を結ぶ路線は
宮崎空港ー宮交シティー橘通り1丁目ー県庁前ー宮崎駅西ー山形屋前ー宮崎BSー国富BS(各停)ー西都IC(各停)ー日向IC(各停)ー門川IC(各停)ー延岡消防署前ー県病院前ー向陽倶楽部前ーベンベルグ前ー中央通2丁目ー延岡駅前BC  となっています。

『ひむか号』は8往復(そのうち各停便は朝夕2便運行、宮交シティから/までの運行が6往復)運行されています。
『ひむか』号は宮崎空港と宮崎市内を経由して西都や日向、門川などは高速道路上のバス停に停車した後、延岡市内はこまめに乗降できるようになっています。

一方、『ハッコーライナー』は宮崎市内は停車せずに宮崎空港そして門川、日向は街の中央部を経由して延岡の中心部の祇園町を結んでいます。
朝夕の便も上り下りとも運行時間は、1時間以上離れています
料金はひむか号が1900円、ハッコーライナーは1300円とかなり差があります。

今回のハッコーライナーの新規参入は2往復とはいえ、『ひむか号』やJRには大きなライバルになると思います。
ただ途中停車地の違い、運行時間の違いなどもあり利用者は選択できる交通手段、便数が増えるなど利便性が増していると思われます。

こうして新規参入があることはおそらく『ひむか号』が好評だからではないかと思います。
『ひむか号』も割引なども既に行われているようですがこれからもいろいろな割引などお得な切符の発売や便数の増便、各停便の昼の便の設定など利用者の動向・要望に応じて利用しやすいように改善する点があれば改善してほしいですね。
JR、ひむか号、ハッコーライナーとそれぞれ頑張っていただきたいです。


夜行高速バス 福岡・北九州ーユニバーサルスタジオジャパン線 運行へ(西鉄)
夜行高速路線バス 福岡・北九州ーユニバーサルスタジオジャパン線 運行へ(西鉄)

西鉄は先月27日に2ルートの新規夜間高速バスの運行を発表しています。
大阪のユニバーサルスタジオジャパン(USJ)と静岡・富士急ハイランド・河口湖・富士山駅への2路線になります。
USJ線は7月18日、静岡・富士山線は8月2日からの運行が予定されています。
今回はユニバーサルスタジオジャパン線について書きます。

大阪のユニバーサルスタジオジャパン線は西鉄の単独運行になるようです
停車地・停車時間は
天神バスセンター(22時05分)→博多バスターミナル(22時20分)→黒崎引野口(23時15分)→砂津(23時36分)→小倉駅前(23時40分)→ユニバーサルスタジオジャパン(7時30分)

USJ(22時)→小倉駅前(6時12分)→砂津(6時16分)→引野口(6時32分)→博多バスターミナル(7時27分)→天神バスセンター(7時32分)
途中「めかりSA」または「壇ノ浦PA」と「三木PA」で休憩となっています 。
新造車両を使用して座席は4列シート、定員は32名、そのうち前方8席が女性専用座席となっています。
トイレ付き、全席コンセント設置となっています
運賃は運行時期により9500円と8500円の二通りあるようです(ちなみに7月は8500円、8月は9500円とホームページ上で発表されています)


ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)は大人気映画シリーズ「ハリー・ポッター」の世界観を再現しているといわれている新アトラクション「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」が今日(7月15日)にオープンしています。
入場者も一時期は伸び悩んでいたようですが2011年度より大きなイベントを仕掛けたり新しいアトラクションを取り入れたりなどの積極姿勢がプラスに作用して増加しており昨年度は開業時以来の1000万人を超える入場者を記録しているそうです
また先日は沖縄・名護の名護自然動植物園の敷地内に新娯楽施設の建設を検討との新聞報道もありました(読売新聞)
業績も入場者も上向きのようです。

西鉄の今回のユニバーサルスタジオジャパンへの運行決定もこうしたユニバーサルスタジオの好調さ、ハリーポッターとい多くの来場者の動員を期待できる魅力的な施設の誕生…などをみての判断だと思います。

ただ西鉄はすでに阪急観光バスとの共同運行で福岡・北九州と大阪・京都間に夜行高速路線バスを運行しておりこの新ルートはちょっと驚きました。
そのこともあってか今回のUSJ線が4列シート、阪急との共同運行の大阪・京都線は3列シートの車両を使用と、また料金も差別化しており、また発着時間も1時間の違い(大阪・京都線は天神の上りが21時05分発)を持たせています。

今回は単独運行、しかも毎日の運行と西鉄としてはかなり力を入れていると思います。
私は全てを把握していませんが大阪ー福岡は元々ツアーバスだった夜行バスも複数存在しているようです。
USJへ運行しているバスもあるようです。
それらに充分、対抗できると考えての運行だと思われます。

大阪・京都線は「キャナルシティ」と「高速門司港」に停車しますが、USJ線は停車しません
運行時間から高速門司港は通過してもいいと思いますが「キャナルシティ」や静岡・富士山線が停車する「高速千代ニュータウン」への停車を、他にも「直方」や「若宮」とかへの停車も検討されてもいいのでは…と思います
高速バスは都市と都市間という点と点を結ぶ交通手段になります。私はUSJは行ったことがなくどういう場所かよくわかりませんが大阪方はUSJの利用者がほとんどではないかと思われます。
福岡の多くの地区から乗降できるように、点を少しでも増やして少しでも気軽に利用できるようになったら…と思います
平日、特に夏休み以降どれくらいの人が利用するのか非常に興味のある路線です
佐世保や長崎・佐賀など九州各地からの高速バスとの乗継割引切符やもう発売されているかもしれませんがUSJの入園料を含めた割引切符の発売など企画切符も積極的に発売して欲しいです
CMなどもできれば流してUSJへ乗り換え無しで天神や博多、小倉のターミナルから行くことができることなどの利点を積極的にPRして欲しいです。
運行が開始されると利用者から改善点などもでてくると思います。
改善できるところは改善して福岡からのUSJへの足として認知され、発展・定着して欲しいです。


上五島〈有川)ー佐世保 航路開設へ(五島産業汽船)
上五島〈有川)ー佐世保 航路開設へ(五島産業汽船)

長崎新聞の7月8日配信の記事(インターネットで知りました)によりますと五島産業汽船が有川港ターミナルと佐世保港ターミナルの間に定期航路の開設を目指しているそうです。
現在、8月1日の就航を目指して、九州運輸局に申請しているそうです
認められた場合、『フェリーありかわ』(498トン・乗客250人・普通車30台収容)を就航させ1日3往復の運行を考えているようです。
現在フェリーの改修を進めていて所要時間はおよそ2時間20分を予定しているようです。

五島産業汽船は新上五島町に本社があり現在、佐世保ー上五島(有川)、長崎ー上五島(鯛ノ浦)、宇久ー小値賀ー有川
の航路を運航している船会社になります。

このブログでも触れたことがあったと思いますが上五島ー佐世保間の航路は2013年5月よりフェリー・高速便を運行していた『美咲運送』が長期運休を発表して事実上廃止になりました。
その後は『九州商船』が高速船とフェリーを、『五島産業汽船』が高速船を運航する体制になっていました。
別ルートで崎戸を経由して五島の友住港まで運行される『崎戸商船』のフェリーも運航されています。
地元企業や町民より以前のように2社就航による運航での利便性の向上を求める声が出ていたようです

まだ正式に就航は発表されていなくて詳しい運行時間などはわかりません。
認可されますと夏休み期間ですし便数が増えて、多くの観光客も訪れる際に便利になると思います。
また2社体制となることによりサービス面も向上もきたいできるのではないでしょうか。

五島列島と博多を結ぶフェリー太古も新船が運航されています。
船会社同士、競争はあるでしょうが利用者が利用しやすいダイヤ、運賃など調整して、企画切符とかいろいろと協力できるところは協調して乗客の事を第一に考えていただきたいですね。
今回の航路開設は島民、島を訪れる人や物流の運送など島と本土の間の交流拡大に貢献することと思います
『五島産業汽船』、『九州商船』、太古の『野母商船』、『崎戸商船』…、五島の足を守るため頑張っていただきたいですね


追悼 イーライ・ウォラック
追悼 イーライ・ウォラック

アメリカの俳優 イーライ・ウォラックが 6月24日に亡くなりました 98歳でした。

ニューヨーク出身でウイッキペディア等によりますとテキサス大を卒業後、ニューヨーク市立大学で修士号を取得、ネバー・フット・プレイハウスで演技の勉強。戦時中は医療班の大尉として活躍し、除隊後はブロード・ウェイなどの舞台でシェイクスピアからコメディまで幅広いジャンルで活躍してトニー賞も受賞されています。
リー・ストラスバーグたちと有名なアクターズ・スタジオ創立に参加しています。

映画デビュー作はアクターズ・スタジオの繋がりからではないかと思いますが友人でもあったエリア・カザン監督の『ベビィ・ドール』(1956年)。
この映画はテネシー・ウィリアムズの原作・脚本とういうことでとても前から気になっている映画ですが観ることが出来ない映画ですね。
カザンの映画はこの時期は私が単に見落としているだけかもしれませんが有名な『波止場』や『エデンの東』など以外はあまり観ることができないような気がします。赤狩りの影響かもしれませんし内容的な事かもしれません。
この映画では演劇界の実績を買われてからか準主役のようです。
一度観てみたい映画です。

4年後の1960年に有名な『荒野の七人』に出演。
村を襲う盗賊の首領役でやがて集結するユル・ブリンナー以下7人のガンマンと対決するカルベラ役でした。
残忍冷酷で悪いけれど、どことなく憎めない感じの役柄で映画の面白さに大きく貢献していたと思います

ウォラックは数多くの映画に出演していますがフィルモグラフィーをみてみると観ていない映画もいっぱいあります。
私のなかではこの『荒野の七人』、そして『おしゃれ泥棒』(1966)、『マッケンナの黄金』(1969)、『荒野の三悪党』(1969)とかは覚えています。4本とも大好きな映画です。
観ている映画でも出演を、映画自体の内容を忘れている映画もかなりあります。
そして少し後になりますが『ゴッドファーザーPART3)』(1990)は印象的でした。

代表作の一つに『続・夕陽のガンマン』(1966)があります。
『続夕陽のガンマン』は原題が『The Good、The Bad、The Ugly』でイーストウッドが〈いい奴〉、マカロニ・ウエスタンで大活躍した(私のなかでは彼がマカロニ・ウエスタンの一番のスターだと思います)リー・バン・クリーフが〈悪い奴〉、そしてウォラックが〈嫌な奴〉を演じていて3人の駆け引きとかだましあいとか緊迫感があり面白い映画でした
イーライ・ウォラックがこの映画では一番印象的でした
テレビで観た時はそれほど長いと思わなかったですが昔ビデオで観た時はかなり長かったので驚きました
(テレビでは穗積隆信さんがよくウォラックの吹き替えをされていましたね。穗積さんの声とも、演じる役柄とも合っていました。)

セルジオ・レオーネが監督してイーストウッドが主演した3本の映画『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続夕陽のガンマン』はそれぞれ特徴がありとても面白かったです。
マカロニ・ウエスタンの中でも別格だと思います。

ウォラックは映画では脇役それも敵役、悪役などが多かったと思います。
アクション映画など映画の面白さは美女と悪役の魅力に負うところが大きいと思います。
経歴をみるととても頭がよく知的な人だったように思います。
魅力的な悪役を演じている方はそういう人が多いような気がします。
演劇学校、舞台、アクターズスタジオなどで磨きあげた演技力で嬉々と悪い奴、嫌な奴、ずるい奴など演じていたようにみえました。

2010年にはアカデミー賞の名誉賞を受賞されイーストウッドから紹介されています。
イーストウッドの『ミスティック・リバー』(2003年)にも出演されていますし交流が続いていたのでしょう。
私は観ていませんが『ウォール・ストリート』(2010年)、『ゴーストライター』(2010年)と90歳を過ぎても話題作に出演されています。
生涯現役の俳優さんでした。
ご冥福をお祈りします

追悼 ポール・マザースキー
追悼 ポール・マザースキー

アメリカの映画監督ポール・マザースキーが6月30日に亡くなりました。84歳でした。
私は知りませんでしたが監督だけでなく俳優や脚本家、構成作家…と舞台、映画、テレビなど様々な場で活躍されていたのですね。
フィルモグラフィーをみると1990年代以降は俳優として活動されることが多かったようです

マザースキーという姓から東欧系の人かな…と漠然と思っていましたが祖父母がウクライナの出身のようです。
ブルックリン大学時代に演劇活動にのめり込み、卒業後は最初は舞台やテレビなどで活動していたようです。
このあたりのことは代表作の一つ『グリニッチ・ビレッジの青春』に反映されていると思います。
かなり昔に一度観たきりで、内容は忘れていますが好きな映画でした。
失くしてしまいましたが昔、古本屋さんにパンフレットが売ってあり買った記憶があります。

その後はコメディアンとしても活動し映画にも出演されています。
フィルモグラフィーに最初に書いてあるのはスタンリー・キューブリック監督の『恐怖と欲望』ですね。
次がリチャード・ブルックス監督の『暴力教室』。
有名監督の幻の作品や有名な作品への出演になります。

初監督作品が『ボブ&キャロル&テッド&アリス』。
ナタリー・ウッドは好きな女優さんですがこの映画は観ていません。
次がキネマ旬報でも外国映画部門で1位になったもう一つの代表作の『ハリーとトント』。
これもかなり昔観ています。
『グリニッチ・ビレッジの青春』もそうですが今,観直すとかなり印象が違うかもしれません。
私はこの2本しか観ていないのですがその後、俳優として出演した『スター誕生』、監督作の『結婚しない女』と続いていきます。(映画館で観た映画はありません)
その後は日本未公開作が増えていきますが出演、監督、製作…と活動はフィルモグラフィーでは2009年まで続きます。

監督作だけを書いていきますと『ウィリーとフィル/危険な関係』(1984年 製作・脚本も 未公開作) 『テンペスト』(1982年 脚本も 未)、『ハドソン河のモスコー』(1984年 製作・脚本も 未)、『ビバリーヒルズ・バム』(1985年 製作・脚本も)、『パラドールにかかる月』(1988年 製作・脚本も 未)、『敵、ある愛の物語』(1989年 製作・脚本も)、『結婚記念日』(1990年 出演・脚本・製作も)、『フライニング・ピクルス』(1993年 脚本・製作も 未)、『ザ・ジャーナリスト』(1998年 テレビ映画)となります。(確認できていないだけで他にも監督作もあるかもしれません)

俳優として出演だけされている作品も未公開作やテレビドラマが多くなります。
2009年のテレビドラマの『ラリーのミッドライフ★クライシス』へのゲスト出演まで記載されています。
2000年以降はテレビドラマへの出演が多くなっているようです。
私はほとんど知らない作品が続きます。

振り返ってみてると1970年代後半から1990年までに代表作として評価されている作品が並んでいると思います。
映画を作り続けることの難しさも彼のフィルモグラフィーをみると思います。

監督作品は製作、脚本を兼ねることが多く、自分が納得できる作品にしたいという意気込みが感じられます。
俳優としては長い期間、活動されています。
監督作はコメディタッチを基本としてノスタルジックな題材やヒューマンな物語、最先端の話題などいろいろなテーマを取り上げる多才な方だったと思います。
メル・ブルックスは「アメリカのフェリーニでした」と発言しています。


監督作・出演作も未公開作が多く、また公開作もDVDが普及する前の1970年、80年代の作品は劇場公開作でもなかなかDVDやテレビ…と現在は観る機会がないのが現状だと思います。
いろいろな機会で、代表作も含めていろいろな作品が観る機会ができればいいな…と思います。
ご冥福をお祈りします


島原鉄道の話題
島原鉄道の話題

○南島原駅の建て替え

島原鉄道や新聞の地方版に掲載されていますが島原鉄道の南島原駅の建て替えが6月24日に発表されました。
建て替えは長崎県が整備する臨港道路(360m)が駅構内を通るため鉄道施設のうち乗務区事務所(乗務員詰め所)、排水施設、揚水施設を移転する必要がありそのうち、乗務区事務所だけは移転場所が確保できず、駅舎用地を利用するようになったそうです。

南島原の駅舎は1913年に建てられた島鉄最古の2階建ての洋風建築物であり、改修も検討したそうですが老朽化、シロアリ被害がひどく、コスト面、安全面を考慮して建て替えることを決断したそうです。
島鉄の厳しい財政状況により県からの土地建物の買収費及び移転補償費を使い建設するそうで駅舎は現在の364平方メートルから227平方メートルに縮小されます。
ただ駅舎はデザインも発表されていますが現在の駅舎の面影を残したレトロ調の二階建ての建物になるようです。
予定としては今年の11月ごろに工事に入り、来年3月には新しい駅舎が完成するようです。

早岐駅に引き続き県内の古い趣のある駅舎がなくなるのは残念ではありますが島原鉄道の経営など考えると仕方がないことと思います。
長崎県としては買収の際、土地の所有者には決められた基準に従い公平に公費を支出されるのは当然なのでしょうが地元の住民の足を担っている民間の経営が厳しい鉄道会社やバス会社には駅舎や待合所などは財政的に何らかの特別の支援がされてもよいのでは…とも思います
(鉄道会社・バス会社などはいろいろなことで支援は受けているでしょうし、今回も他の事業所や個人への支出基準などは違うかもしれません。詳しいことはわかりませんが…)

『南島原駅』は車両基地を抱える島原鉄道の運行面での要の駅であり、乗降客も島原鉄道のなかでは多い主要駅の一つだと思います。
新しい駅舎になっても地元の方が利用しやすい、親しまれる駅になるとよいですね

○『ニッポンぶらり鉄道旅』で「島原鉄道」を放送
私はみたことはないのですがNHKBSプレミアムで放送されています『ニッポンぶらり鉄道旅』で島原鉄道が放送されます。
島原鉄道のホームページにも掲載されていますし、NHK長崎放送局が発行しています情報紙『もっこい長崎』7月号でも紹介されています
来週、7月17日(木)の19時30分より30分間、再放送は7月17日(土)の朝、7時45分から30分間放送されます。

旅人(案内人)として現在、放送されています大河ドラマ『軍師 官兵衛』に福島正則役で出演されている俳優の石黒英雄さんが通勤通学で混みあう〈下り列車〉に乗り地元の人と触れ合いながら沿線の絶景や名産&特産を紹介する番組のようです。

鉄道旅行は旅番組でよく放送されます。
重なる部分・話題などは多いかもしれませんが番組が違うと、必ず別の見方や取り上げ方など違う面はあると思います。
そしてとにかく地方は情報を発信し続けることが一番大切だと思うのでこれからもいろいろな番組で鉄道や船、バスなどを使った旅や全国の離島などいっぱい取り上げて欲しいです。

今回の放送はとても楽しみです。両方とも仕事中なので忘れずに録画して観よう!と思っています。
衛星放送は観る人が限られていると思うので、できれば九州内、それが無理なら長崎県だけでも地上波でも再放送して欲しいです。

松浦鉄道の話題
松浦鉄道の話題


○ビール列車の運行
毎年、運行されています松浦鉄道のビール列車が7月4日より運行されています。
今年は佐世保地区(佐世保⇔佐々)以外でも伊万里ー松浦間でも運行されることになりました。
佐賀新聞(7月6日)によりますと伊万里地区でもビール列車を運行して欲しいとの要望が多くこれに応えて、今年の運行になったようです。

伊万里地区では運行は7月~9月の第2、4水曜日に特別仕様のボックス席11席を備えた定員44名の『レトロン号』一両を使用して伊万里⇔松浦間を1往復します
伊万里駅を18時20分出発して松浦駅に19時3分着、折り返して伊万里駅に20時8分とおよそ2時間の旅になり天気が良ければ伊万里湾に沈む夕陽を眺めることができるそうです。

佐世保地区は木曜~土曜日に運行されています。
こちらは佐世保駅を18時33分に出発して佐々駅に19時17分着、ここで折り返して佐世保駅には20時33分着です
運行は伊万里地区同様の車両になります。
料金は両地区とも3500円となっています。

ビール列車は松浦鉄道の夏の風物詩になっています。
こういう観光・イベント列車は松浦鉄道の収益の大きな柱となっています。

伊万里地区は原則として月に2回、水曜日の運行となっていますが松浦鉄道としては好評であれば来年はもっと増やしたいと考えているようです。
運行列車の関係で伊万里地区は水曜日となっていると思いますが、ビール列車としての運行だけでなくお金がかかることで厳しいでしょうが様々なイベントに対応できる注目を浴びるような魅力的な車両をできればつくって欲しいです。
佐世保地区でも伊万里地区でも同時にビール列車が並行して運行できる体制にしてもらいたいです。

今年も佐世保地区、新たに運行される伊万里地区でも盛況の内にビール列車が運行されれば…と思います。



○4年ぶりに黒字に
松浦鉄道は6月27日に佐世保市内で定期株主総会を開かれました。

年間利用者は年間目標の300万人には届きませんでしたが292万人となっています。
 沿線の人口は減少が続いていますが昨年秋に佐世保駅の近くに大型商業施設「させぼ五番街」がオープンして佐世保駅の乗降客が増えたことや上に書いていますがビール列車などの企画イベント列車などの集客策が功を奏して昨年より1万6000人増加しています。2011年度より3年連続の増加になるようです。

2013年度の営業収益が7億4732万円で8期ぶりの増収で当期純利益は1199万円と4期ぶりの黒字を計上しています
そのうち旅客の運輸収入は6億3990万円(前年比0.2%減)
運輸雑収入は詳細はわかりませんが新聞より抜粋しますと受託工事の監督事務収入などで1150万円増加しています。
また原油価格の高騰などにより燃料費は上昇していますが枕木の交換等の修繕費は14%減少したそうです。
経常利益としては4660万円の赤字となっていますが営業外の収益などもあり赤字額は減少しています。

代表取締役会長兼社長の方は『地道に地域の客を増やすように務め、経費を徹底的に削減したことが黒字になった』と話されています。
会社のそういう地道な取り組みと『させぼ五番街』のオープン、そして今回は消費税の増税前の定期券の駆け込み購入なども黒字になった原因として大きかったと思います。

特に五番街の開業は大きかったと思います。
人の流れも変化しているようですしこの動きをもっと取り込めるように またこの地区はバスが国道まで行かないとほとんど運行されていないので、お金がかかることではありますができれば佐世保駅と佐世保中央駅間の五番街の出口というか四ヶ町側の入口側、アルファビルの近くに新駅をつくって欲しいですね。

経常利益では今も赤字ですしこれからも人口減少が続く中、厳しい経営は続くと思われますがこれからも地元の足として少しでも利用する人が増えるように地道に努力され、経費削減にも努められ運行していただきたいです。


*佐賀新聞、読売新聞の地方版の記事を参考にしています
三井楽、国の「名勝」に(五島市福江島)
三井楽、国の「名勝」に


6月20日、文化審議会が長崎県の軍艦島(端島)の炭鉱跡を含む高島炭鉱跡(長崎市)など9件を「史跡」に、五島列島・福江島の三井楽(五島市)など5件を「名勝」に、三重県松阪市の立梅用水など5件を「登録記念物」に、滋賀県長浜市の集落を「重要文化的景観」として新たに選定するように、文科大臣に答申しました。
新規指定されたのは
【史跡】
慈恩寺旧境内(山形県寒河内市)、上野国佐位郡正倉跡【群馬県伊勢崎市)、下里・青山板碑製作遺跡(埼玉県小川町)、西高木家陣屋跡(岐阜県大垣市)、石の宝殿および竜山石採石遺跡(兵庫県高砂市)、大和古墳群(奈良県天理市)、大高野官衛遺跡(鳥取県琴浦町)、城山横穴群(福岡県福智町)、高島炭鉱跡
【名勝】
東福寺本坊庭園(京都市)、松花堂および書院庭園(京都府八幡町)、岸和田城庭園(岸和田市)、三井楽、ティンダバナ(沖縄県与那国町)
【登録記念物】
立梅用水(松阪市・多気町)、今井氏庭園、半田氏庭園、宮澤氏庭園(いずれも長野市)、南氏庭園(大阪府阪南市)、マチカネワニ化石(大阪府豊中市)
【重要文化的景観】
菅浦の湖岸集落景観【滋賀県長浜市)

長崎県関係ではこの三井楽と端島(軍艦島)などの高島炭鉱が選定されています。
高島炭鉱は当然の選出かもしれませんが三井楽が選ばれたのはびっくりしました。

読売新聞6月22日の佐世保版によりますと五島市の三井楽(みいらく)半島一帯を「三井楽(みみらくのしま)」として
具体的には
〈三井楽半島の高崎鼻から柏集落までの区域〉
〈柏崎から長崎鼻までの集落〉
〈周辺海域計約700万平方キロメートル〉からなるそうです
答申にあたっては
約6キロにあたる熔岩海岸と草原が作り出す風光明媚な景観が鑑賞上の価値が高いと評価されたそうです

また今回は三井楽の歴史上の価値、学術上の価値も評価されたそうです
三井楽の港は遣唐使が大陸を目指す際に最後の寄港地として利用され、また日本の西の端に位置することから『西の最果ての地、異国との境界にある島』、『亡き人に遭える島』などとして『蜻蛉日記』や『万葉集』などにも登場し歌枕としても定着しているそうです。

三井楽には藤原道綱の母の日記として知られている『蜻蛉日記』のなかで
病床についたとき亡き母に会いたいと願い詠んだ
『ありとだに よそにてもみむ名にしおはば われにきかせよみみらくの島』
その歌を聞き、見舞いにきた兄が不憫に思い詠った
『いずことか 音にのみきく みみらくの 島がくれにし 人にたずねむ』
の歌碑があるそうです
他にも遣唐使の一員・留学僧としてこの三井楽を訪れている空海の像や万葉集の歌の歌碑なども建てられているそうです

五島は現在、世界遺産への登録を目指している教会群が注目されています。
三井楽にも『三井楽教会』、『貝津教会』そして以前ブログに書きました嵯峨島にある『嵯峨島教会』の教会があります

潜伏キリシタンの時代から島民の生活に根付いていた信仰の歴史を象徴している教会群、
海産物やうどん、かんころ餅、五島牛などの美味しい食べ物、
そして今回、「名勝」指定の理由となったキリスト教が伝来する以前の歴史上の遺産や美しい自然

五島には様々な財産があります。
今回の三井楽の名勝指定が福江島を始めとする五島の島々の魅力を再発見する手助けに
また多くの人が五島を知り、訪れる人が増えるなど島の活性化に役立てばいいな…と思います

64回カンヌ映画祭 1 ~キャロル・ブーケそしてジャン=ピエール・ラッサム~
64回カンヌ映画祭 1 ~キャロル・ブーケそしてジャン=ピエール・ラッサム~

5月14日より25日まで今年もカンヌ映画祭が開催されました。
オープニング上映作品がいろいろと話題になったオリヴィエ・ダアン監督の『グレース・オブ・モナコ公妃の切り札』。
クロージング作品としてマカロニ・ウエスタン誕生50周年を記念してセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』の復刻版が上映されました。
50年というのはすごいですね。主演だったイーストウッドがまだ活躍していることを思うと改めてイーストウッドの息の長さ、すごさがわかります。

コンペティション部門には18作品がノミネート、上映されました。
作品自体は知らない作品ばかりでしたが監督をみてみるとマイク・リー、トミー・リー・ジョーンズ、デヴィッド・クローネンバーグ、ケン・ローチ、ジャン=リュック・ゴダールと私でも知っている名前も並んでいました

コンペ部門は今年は審査員長が『ピアノ・レッスン』で有名なジェーン・カンピオン監督。、
他にキャロル・ブーケ(女優)、フランシス・コッポラの娘ソフィア・コッポラ(監督・脚本家・プロデューサー)、レイラ・ハタミ(女優)、チョン・ドヨン(女優)の女性5名、
そしてウィリアム・デフォー〈男優)、ガエル・ガルシア・ベルナル〈男優・監督、プロデューサー)、ジャ・ジャンクー〈監督・脚本家・プロデューサー)、ニコラス・ウィンディング・レフン〈監督・脚本家・プロデューサー)の男性4名
9人の審査員でした。
審査員のうち私が名前を知ってた人が4人(カンピオン、ブーケ、コッポラ、デフォー)でした。

日本から出品された河瀬直美監督の『二つ目の窓』は前評判もかなり良くて女性の審査員も多かったので何か賞は取れるのでは…と期待していましたが残念ながら受賞は逃しました。
〈自分が全身全霊かけてつくった作品が受賞できなくて悔しい、さすがカンヌで、これらまた目標ができた…〉
このような事を河瀬監督はコメントしてました。 なんか潔くてとても好感が持てました。
ノミネートされることだけでも素晴らしいことですしこれから必ずまたチャンスもあるでしょう。
更なる活躍を期待したいですね

短編部門にノミネートされていた東京芸大大学院の佐藤雅彦監督と教え子5名が監督した『八芳園』も残念ながら受賞はなりませんでした。

ただ世界の映画学校で製作された短編や中篇を集めたシネフォンダシオン部門で『OH LUCY!』(オー、ルーシー!)という平柳敦子監督の日本映画が第2位というのは嬉しかったですね。
ほとんど無名といっていい学生の作品に桃井かおりが出演していたのも彼女の映画に対する姿勢、心意気が感じられて嬉しかったです。
監督が直接、桃井かおりに出演を依頼したようです。平柳監督の行動力もすごいと思います。
またこの部門の審査委員長が『友達のうちはどこ?』のイランの映画監督アッパス・キアロスタミというのも嬉しかったです。
短編ですし一般公開というのは難しいかもしれませんがどういう方法でもいいので多くの人が観ることができる機会を提供して欲しいです


コンペテションの審査員のなかにキャロル・ブーケの名前がありとても懐かしかったです。
彼女は私にとっては『007/ユア・アイズ・オンリー』が思い浮かびます。
目の前で両親を殺され復讐を決意しているどことなく憂いのあるボンドガールでした。
もう一人のボンドガール?のリン・ホリー・ジョンソンの健康的な明るさと対照的で良かったですし、ボンドに協力するトポル(『フォローミー』『屋根の上のバイオリン弾き』)も良かったですね。
007がこれほど長く存続している大きな理由の一つはその都度、時代の空気や他の映画、そしてこれまでの自作の歩みを考慮して、新作を軌道修正してきたことだと思うのですがこの映画も前作の『007/ムーンレイカー』が面白かったけれどやりすぎで、これからどうなるのか?といった感じだったので、どうすればこれまでのファン、新しいファンに満足してもらえ面白くなるか…と考えいろいろな要素を取り入れながら作った感じで悪くないと思いました。
主題歌を歌ったシーナ・イーストンも大好きでしたし映画館に何度か通った映画です。

ボンドガールもフランスの女優さんがヒロインになった「007/サンダーボール作戦」のクロデューヌ・オージュ、「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」のソフィー・マルソーと、3人とも独特の個性がありそれぞれ素晴らしかったと思います。

そして学生時代にフランス映画祭があり徳島でキャロル・ブーケも出演していた『料理は冷たくして』を観ました。
(他にジャック・ドゥミー監督の『ロバと王女』、ロミー・シュナイダー主演の『華麗なる女銀行家』を見た記憶があります。まだ他にも観たと思いますが何を観たか忘れてしまってます)
映画祭の作品全てが英語の字幕スーパーで内容はほとんどわからなかったですが字幕無しでもそれなりに映画は楽しめることがわかりました。

彼女のデビュー作はピエール・ルイス原作(以前は角川文庫から出版されていましたが絶版かもしれません)ルイス・ブニュエル監督の遺作『欲望のあいまいな対象』になります。

この小説は何度か映画化されていて私が知っているだけでも、1934年のジョセフ・フォン・スタンバーグがマレーネ・ディートリッヒ主演で撮影も担当した『西班牙(スペイン)狂想曲』、そしてジュリアン・デュヴィヴィエが監督してブリジッド・バルドーが主演した『私の体に悪魔がいる』の2本があります。

スタンバーグ、デュヴィヴィエ、ルイス・ブニュエルと3人の著名な監督が同じ原作を映画化していることはとても興味深いです。
『西班牙狂想曲』は監督スタンバーグ=主演ディートリッヒというハリウッド神話の伝説のコンビの最後の作品として割と知られているかもしれませんがブリジット・バルドー主演の『私の体に悪魔がいる』はほとんど語られないですね。

『私の体に悪魔がいる』は『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』を読みますとデュヴィヴィエ自身、失敗作といっています。スタンバーグの作品と比較されたりして厳しい評価になっているのかもしれません。
ただデュヴィヴィエ初のカラー作品ですし、バルドーが出ていますし是非、観てみたい作品です。
もちろん未見のスタンバーグの『西班牙狂想曲』も観てみたいですね!
スタンバーグ=ディートリッヒのコンビ作は4作目の『上海特急』までは観ることができてもそれ以降の三作品(『ブロンド・ヴィナス』、『恋のページェント』、『西班牙狂想曲』は観ることができなくて残念です

ブニュエルの映画ではキャロル・ブーケはアンベラ・モリーナとで二人一役!という、みたことがない難しい役に挑戦していました。あのとき彼女は20歳前だったのですね。ちょっとびっくりします。
人間の複雑さ、二面性、多面性を描き出すことがブニュエルの映画の一つの特徴だと思いますが二人一役という設定にして新たな方法で二面性を描き出す感じで興味深かったです。
ブニュエルは最後までブニュエル!でした。
翻弄される初老の男性を演じたフェルナンド・レイはとても良かったと思います。

フランスの女優さんはジャンヌ・モローやカトリーヌ・ドヌーブをはじめとして女優さんが年を重ねても第一線で長く活躍することが多いですがキャロル・ブーケも私は作品は観ていませんが現在も女優さんとして活躍しています。
かつてはシャネルのモデルをしたり他の映画祭などで審査員をしたり日本にも『フランス映画祭』のフランス代表団の団長として来日したりしています。
今やフランスを代表する女性・女優さんの一人になっているようです。


キャロル・ブーケは私が知っているだけで3回結婚して、1回目がプロデューサーのジャン=ピエール・ラッツサム、2回目がフランスの有名俳優のジェラルール・ドパルデュー(正式な結婚か事実婚だったのかよくわかりません)、3回目は薬学士の方と伝えられています。

最初の結婚相手はプロデュサーのジャン=ピエール・ラッサムは一時期はフランス映画のトップとして大活躍したプロデューサーになります。
私がラッサムの名前を知っているのは山田宏一さんの『友よ映画よ~わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』を読むことができたおかげです。

この本はフランスに留学されていた山田宏一さんが滞在時にトリュフォーやゴダールなどヌーヴェルヴァーグの映画人との交流・その後が描かれています。
山田さんのヌーヴェルヴァーグへの想いに溢れたとても素晴らしい本ですがそのなかでラッサムも妹のアンヌ=マリー〈監督、プロデューサー、俳優として活躍したクロード・ベリと一時期結婚していた)も映画を観て語り合った青春の大切な仲間として登場します。

ラッサムは1941年にレバノンで外交官の子どもとして生まれています.。
〈ゴダールとブレッソンとポランスキーのプロデューサーになることが夢〉と若い頃から宣言していて実際に3人の作品を手がけています。

興行的には大失敗だったそうですがロベール・ブレッソンの20年来の企画だった『湖上のランスロ』(1974年・日本未公開)を製作しています。
またロマン・ポランスキーでは『海賊』(1976年・製作中止)に取りかかり海賊船を作ったところで製作中止になり一度、破産に追い込まれています。海賊映画はお金がかかり製作するのが大変みたいです。
(その後ポランスキーは10年後に日本未公開作ですが『パイレーツ』〈1986年)を監督しています。かつてラッサムが製作しようとした映画とは直接は関係はないのかもしれません よくわかりません)
ナスターシャ・キンスキーが主演して日本でも公開され話題になったポランスキーの『テス』(1979年)は義弟だったクロード・ベリが製作しています
(そのときはラッサムはドラッグで廃人同様になっていたそうですが最初はラッサムも関わっていたのではないかと思います)

ゴダールの映画も製作しています。
ゴダールとラッサムについては次に別に書く予定です。

ラッサムは公言していた3人の監督のプロデュースの他にもクロード・べりと一緒に当時のチェコスロバキアの監督で、後にアメリカで『カッコーの巣の上で』、『アマデウス』を撮ることになるミロシュ・フォアマンたちと交流を持ちチェコやポーランドなど東欧の映画人の亡命やアメリカ進出の手助けをしています。
またジャン・ユスターシュ監督の『ママと娼婦』やモーリス・ピアラ監督、イタリアのマルコ・フェレーリ監督の映画を製作したりしています。
またトリュフォーの推薦により後に『クレイマー・クレイマー』を撮るロバート・ベントン監督の最初の監督作品『夕陽の群盗』に携わったり『地獄の黙示録』のフランスでの配給を手がけたり…と他にも様々な映画を製作・配給して大活躍しています。
ただ彼は1970年前半からうつ病に苦しみアルコールやドラッグ中毒になり1985年に43歳で睡眠薬を多量に服用して急死しています。

山田さんの『友よ映画よ』はジャン=ピエール・ラッサムが亡くなる前の年に残した言葉が掲載されています。
そのまま抜粋させていただきます。
「俺の人生?そんなものはどうでもいい。映画について語ろうじゃないか。そのほうがずっとおもしろいにきまっている。俺の成功は、不幸のどん底で力を失わずにかがやいていられたことだ。どんなにひどい目に遭っても、俺は絶望しなかった。仕事でも、恋愛でも、俺はとことん突っこみ、暗黒の地獄に堕ちることをおそれなかった。どんなに夜が長く暗くても、いつか夜明けとともに光がさしてくることを俺は知っていたからだ。映画とはそういうものだーネガとポジー陰陽相俟って、映画は映画たりうるのだ。そこに魔術がある。映画とは光をうつしだす魔法の鏡なんだ」
(「カイエ・デュ・シネマ」1985年3月号ガイヤック・モルグによるインタビュー)

いまも女優として着実な歩みを続けるキャロル・ブーケと対照的にラッサムは短い期間だったかもしれませんがゴダール、ブレッソン、ポランスキーの映画製作という夢に挑み、他にもいろいろな映画人にも全精力を懸けて取り組んだ人でした。

俳優や監督と違いプロデューサーは陰の存在であり映画を観るものとってはあまり語られることは少ないですがそもそもプロデューサーという鏡がいないと映画の企画、製作は成立しません。
ラッサムの映画史に残した足跡は忘れてはいけないと思います。
2007年にラッサムの伝記が発行されています(翻訳はないようです。)


*『友よ映画よ〈わがヌーヴェルヴァーグ誌〉』(話の話集) 『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』(国書刊行会)、『亡命者たちのハリウッド』(作品社)、ウイッキペディアなど参考・引用させていただきました

     
ブログのこと
ブログのこと

また認証用コードなどトラブルがあり何もできなくなっていました。 今回は前回より短期間で復帰できました。 同じような内容になりますがこれからも更新できたらと思っています。
いろいろ間違いなどもあるかもしれません。
限られた時間ではありますができるだけ調べていろいろと書いていきたいとは思っております 
これからもよろしくお願いします